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マイケル・ジャクソンの肌の秘密|マイケルと「白斑」

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『マイケル・ジャクソン(以下、マイケル)』は、改めて説明するまでもなく、米国を代表する言わずと知れた世界的スターです。

ダンスをはじめとする卓越したパフォーマンスとともに、数々の名曲を世に残し、社会的にもチャリティコンサートツアーを開催して収益金を全額寄付し、アフリカにおける飢餓の救済活動に取り組むなど、慈善活動にも非常に積極的でした。

彼を筆頭に、当時の米国における世界的アーティストが多数集まって創られた「USA for Africa」の『We Are The World』という曲をご存知の方も多いかと思います。

2009年に急逝のニュースが流れてからしばらくの間、様々な他殺説や陰謀説などが噂され、当時11歳と幼かった娘のパリスが、大人になって改めて「父は殺された」と語るなど、その死は謎に包まれています。

マイケルの死の真相については、未だ様々な憶測が飛び交っていますが、死去した際に過剰な量の「プロポフォール」という強力な鎮痛剤を飲ませたとして、主治医のコンラッド・マリーが業務上過失致死罪で有罪となっています。

マイケルが死亡した時の”検視写真”が出回り、これもまた世界を驚かせました。

その顔は、生前のマイケルとは似ても似つかない、非常に無残な姿となってしまっていたのです。

「King of Pops」と呼ばれ、世界的にとてつもない人気を誇っていたマイケルは、死の直前まで、その年から開催される予定だったコンサートツアー「THIS IS IT」のリハーサルに励んでいたと言います。マイケル自身も記者会見では「これが最後のライブ」と語り、ファンとすれば前回のライブから12年ぶりということもあり、待ちに待ったツアーでした。

最後のツアーに向けた準備が開始できるようになるまでの数年間には、マイケルに対する”児童虐待”に間する裁判が行われており、改めてマイケルに世界中の注目が集まってもいました。

そんなマイケルですが、若い人の中には彼が幼い頃から活躍していたスターであることを知らない方もいるのではないでしょうか。

知っている方にとっては、あまりにも有名な話ではありますが、彼はアフリカ系アメリカ人として生まれた黒人で、小さな頃から「ジャクソン5」として世界的に絶大な人気があったのです。

その後ソロになったマイケルは、エンターテインメント界においてその多彩な才能を存分に発揮し、様々な作品を残していきました。今でこそ当たり前のように目にするストーリー仕立ての「MV(Music Video)」も、彼が自身の楽曲「Thriller(スリラー)」において革新的な演出を行ったことが最初と言われています。

ちなみにこのアルバム「Thriller]は、”史上最も売れたアルバム”として、ギネスブックに登録認定されています。


<下に続く>

目次 -Contents-

マイケルの『白斑』との闘い

さて、マイケルはアフリカ系アメリカ人として生まれ育ち、「ジャクソン5」としてデビューをしてからは、一気にスター街道を駆け上がっていくわけですが、ソロになってからの彼しか知らないという方の中には、彼の肌が白いことに疑問を持たれた方もいるかもしれません。

ネットなどで若かりし頃のマイケルについて見られたことがある方、またテレビなどで昔の姿を見たことがある方であれば当然ご存知かとは思いますが、前述のとおり、彼は黒人です。

したがって、当然のことながら、もともと彼の肌は黒かったわけです。

では、なぜ白い肌となったのか。そうです。

彼も、肌の脱色に悩む「尋常性白斑」の患者の一人だったのです。

ジャクソン5として人気絶頂となり、その後ソロとしても”キング・オブ・ポップス”として不動の地位を築いていったマイケルですが、幼いころには母親が心配になるほど父親から厳しい”レッスン”と称した虐待を受けていました。その後、ソロとしても大きな成功納めた彼のもとには、その財産を目当てにして様々な人間が近付いてきたり、その利益を当てにした企業との争いごとが生じたりと、おそらく生きている間中ずっとストレスと闘っていたのでしょう

更には、CM撮影の最中や、コンサートのリハーサル中にステージで大怪我をしてしまったりといった外的要因もあり、白斑の進行を早めてしまったする見方もあります

怪我による整形や、白斑治療による肌色の変化など、彼の容姿はいつも注目の的となっていました。

一部では、「白人に憧れて、あえて肌の色を脱色する整形を繰り返している」といったマスコミ報道などもありましたが、彼自身が自分の娘に対し、「お前は黒人だ。そのことを誇りに思って生きていくんだ。」といつも言い聞かせ、娘のパリスもそれを胸に刻んで「自分は黒人だ」と思い生きていると言っていることや、死去する直前まで主治医としてマイケルの容姿を診ていた医師も「自分は黒人であることに誇りをもっている」とマイケルが語っていたと話しており、白人に憧れていたとする説は信憑性の低いものとなっています。

幼少期からマスコミの注目の的であったマイケルには、たくさんの写真が残されていますが、やはり「白斑」の発症直後かと思われるような、元の黒い皮膚の中に、色が脱色した部分が見られるようなものも存在していますので、彼が白斑を患っていたということは間違い無いでしょう。

1984年、ジャクソン5(レコード会社との契約のもつれなどから、後に「ジャクソンズ」へ)から脱退し、本格的なソロ活動を開始する直前に発表された「Thriller」の頃から、彼の白斑の進行が始まったと見られているようです。

このことは、彼自身が積極的に扱いたくない話題であるとしながらも、1993年に行われたインタビューで語り、認めています。

前述のように、自身が黒人であることに誇りを持っていたマイケルは、白斑によって肌が白く脱色してしまうことにむしろショックを覚えていたといいます。

白斑発症の初期の頃は、他の正常な皮膚との境目を目立たなくさせるために”茶色”のファンデーションを使用し、その後白斑の範囲が拡がっていくと、今度は白のファンデーションを使用して見た目をごまかしていたそうです。

彼自身も、白斑であることを認めた際に「ファンデーションで肌色を均一化するのも大変なんだ」と語っています

マイケルが人前に出てくる際にサングラスをしたり、日中に外に出る際には必ず日傘を差していたりすることも、白斑を目立たせなくするための脱色手術によって、日光を浴びることができなくなってしまったからだとされています。

また、彼の息子”プリンス”も白斑であることが確認されており、マイケルからの遺伝であるとも言われています。

亡くなった直後のマイケルの体には、爪の部分に一部だけ色素が残っていたのみで、あとの部分は色素が抜けてしまっていたのだそうです。

まとめ

楽曲のパフォーマンスによって人々を魅了することが仕事であり、その容姿にも否が応でも注目が集まってしまうマイケル・ジャクソンというスーパースターの立場で、白斑を患っていたということがどれだけ辛いことだったかというのは、自分が白斑を発症していても想像できないほどのものだったことでしょう。

病気であることを長年隠していたこともあり、マスコミから面白おかしく取り上げられることによるストレスもまた、白斑の進行を早めてしまう結果となり、最終的にはそのスピードに抗うことはできず、”脱色”という手段を採ったのではないかと思います。

少しうがった見方をしてしまうとすれば、テレビのドキュメント番組でも、「This、This」と指差して超高価な美術品等を何の躊躇もなく購入していけるだけの財力のあるマイケルが、どれだけお金を積んでも治せなかった病気が、この白斑と言う病気であると言うことも出来るかと思います。

彼が白斑を発症したと思われる1980年台から30年以上が経った今も、まだまだ瞬間的に完治できるような画期的な治療法は開発されていません。

当サイトでは、現時点において効果的だと思われる治療法などについても取り上げてまとめてきましたが、本当に一刻も早く画期的な治療法が出て来ることを願うばかりです。

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最後に、私はマイケルの曲の中には好きな曲がいくつもあるのですが、個人的にお気に入りの1曲をご紹介しておきたいと思います。「ホーム・アローン」シリーズのマコーレ・カルキンが、なんとも可愛らしいですね。

それでは。

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